看護師だった母の思い出

私の母はもう30年以上前に55歳で亡くなっていますが、もと看護師でした。当時は看護婦さんと呼んでいましたが。私たちが生まれた後は仕事をやめていたので、母が看護師だったと知ったのは、母の看護婦姿の写真を見た時です。

 

「えっ お母さん看護婦さんだったの?」と驚いて聞いたら、「いやだ、恥ずかしい」と言っていました。母が看護婦になったのは戦時中のことで、まだ10代の半ばぐらいのころでした。女学校を出てすぐに看護学校に入ったのは、従軍看護婦になりたかったからだそうです。戦時中は従軍看護婦になることに憧れていた女の子はけっこう多かったらしいです。

 

九州の佐賀出身の母は、佐世保の海軍病院で働いていたとのことです。今思えば、戦地に派遣されずにすんだのは幸運なことでした。佐世保にいたために、長崎の原爆にも巻き込まれずにすんで、戦争の時代を生き延びることができました。戦後は東京に出て武蔵野の病院で働き、そこで父に会って結婚したのだそうです。戦争のころのことは辛いから思い出したくないと言っていた母ですが、そういう経緯をいつか話してくれたことがありました。